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年初めの関西周遊 其の弐:三木鉄道編
<其の壱からの続き>
銀河で大阪へ出た後…
新快速に乗り換え、加古川へと向かいました。関西で新快速を利用する度に思いますが、、、
加古川迄50分で着いてしまう速さはホント素晴らしいですね。
| 加古川では、駅案内を見て… |
自分が下車した厄神からは…
金物の街としても有名な三木との間を結ぶ全長6.6Kmの盲腸線・三木鉄道が分岐しております。
1985年に国鉄三木線を第3セクター化したこの路線は、下記画像の通り…“ノドカな田園地帯をひた走る路線”です。
| しかし、転換当初から芳しくない経営状態が続き… |
そんな事情もあるので、今回の旅では、寝台列車に続き…
“最初で最後の三木鉄道の旅”を楽しんでみることにしてみました。
廃線となる路線とはいえ、1時間に1本は運行されていましたしね。。。

途中下車した駅は、終着駅である三木の2駅手前の別所です。
昔ながらの駅舎には旅情を誘われますが、よく見てみると…残念ながら駅名称がありません。こんな所からも廃線間近という匂いがするといいますか、どことなくモノ哀しい雰囲気が漂っております。。。
ところで、戦国時代に詳しい方であれば、「播磨で別所」というと…
思い浮かぶこともあるかと思います。そうです、1578年の三木合戦です。当時、織田家の武将であった羽柴秀吉が行った2年弱の兵糧攻めは、後に「三木の干殺し」と称されることになったのですが、三木城に籠って秀吉と対峙したのが別所氏。大将は、別所長治という若手でした。

そんな歴史を少しだけ辿るための途中下車だったのですが…
この別所駅から徒歩数分の所に三木合戦に敗れた別所氏の菩提寺である法界寺があります。
| 月命日にあたる4月17日には追悼法要が営まれ… 尚、右上の画像は騎馬武者石像(※三木城跡にも同型有)で、左記画像は長治が自刃したときの遺体を埋めたと伝えられている霊廟です。 |
別所駅周辺に関しては…その他、特に何もありません。。。(;^^)
さらに、駅に留まっていても暫く列車が来ない…という状態だったので、、、
2駅手前の石野へ向かって歩いてみることにしました(※三木鉄道の距離にして、2.7Km)。
| この区間も大したものはナイのですが、沿線でよく目にした木造家屋と鳩の群れを撮ってみました。こういうのを撮るのも旅かなと…(;^^) |
別所から石野迄は、徒歩にして25~30分程度だったと思います。
この石野にも別所同様、昔ながらの駅舎が残っております。

列車と共に撮影するならば…
個人的には、この石野で撮る方がノドカな雰囲気が出て良いような気がしますね。
右上の画像は、単純に踏切から撮ったものですが…結構好きです。
ちなみに、この両駅以外には…
「特に立ち寄りたい気分になる駅がなかった」ので、石野から終着駅である三木へと向かいました。
| 三木駅は市街地の中心部から少し離れているためでしょうか。閑散としていたのが印象的でした。 |
| さて、三木といえば… |
ただ、テーマは別所氏。
2年近くも籠城戦が行われたという三木合戦の主戦場の方に足を運びたくなりました。
最終的には、兵糧が底を尽き、藁や草迄もを食料にせねば飢えが凌げないほどの戦況となりながら、別所氏の家臣は最後迄、忠誠を尽くしたと言われる三木合戦…。そこ迄して戦わせた力というか…執念みたいなモノは何だったのだろうと思うと、ココには学ぶべきことが色々とあるような気がしてならなかったのです。
| こちらは、三木城にも近い雲龍寺です。三木駅の南東の方にある坂を上った所にあります。 |
ココでは、毎年祥月命日の1月17日に法要が営まれ…
飢餓に喘いだ城兵が藁を食したという故事にちなんで藁に見立てた“うどん”が振る舞われているそうです。それは、城主の長治が義を守り忠義を尽くす家臣や哀れな婦女子や庶民を思って開城し、彼らの命を救うことを条件に一族と共に自害したという最期だったからこそ…その歴史をいつの時代も忘れないよう、こんな行事が繰り返されているような気がしてなりません。
ちなみに、右上の画像は長治夫妻の首塚です。
三木合戦はある意味で悲劇の歴史。それを忘れぬよう、自分もソッと手を合わせて来ました。

金物資料館(無料)と三木城跡は雲龍寺から徒歩数分の所にあります。
城下には、当時とおそらく同じように川が流れ、今は画像の通り神戸電鉄が走っております。色褪せた三木合戦図などもありますが、1番目を惹くのは…上記画像中央の長治の辞世でしょうか。
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」
と書いてあります。
訳さなくても分かって頂けるでしょう。彼の人となりが偲ばれたことは言う迄もありあません。
<三木から先は其の参へ(※画像数の関係にて分割)>
〆
<Postscript>
最近、色々な事件を聞いて思うのですが…
自分も含め、今を生きる人は歴史という教科書を中途半端に読んで生きてるから、こんな世の中になっているような気がしてなりません。考えてみれば、読んだ伝記だって成功した人ばかり。勝ちばかり。負けという結果の中にもあった大切な何かを伝えようとしている作品は少ないと思います。これからは、敗者の歴史を蔑ろにしないことが人の心を豊かにする1つの術ではないかと自分は思うのですけど…。
次回以降は、そんなことも考えながら…
歴史探索をしてみようかなと今回そう思ったのでした。
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