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Article Titles
- 【03-H. 国内旅行記@その他】の親カテゴリは、「03. 旅行関連」 です。
- [ 2008年10月19日 01:22 ] 瀬戸内海周遊の旅 其の弐:呉~三原編
- [ 2008年10月 5日 01:48 ] 瀬戸内海周遊の旅 其の壱:原爆ドーム~宮島編
- [ 2008年7月30日 08:08 ] 広島市民球場で観戦したかったから…
- [ 2007年10月28日 15:15 ] 島原半島を堪能する旅:其の壱
瀬戸内海周遊の旅 其の弐:呉~三原編
<其の壱からの続き>
広島市民球場で最初で最後の野球観戦をした後…
広島駅から呉線で移動し、その日は呉で宿泊することにしました。
| 実は、宇品で花火大会が開催されていた影響… そのとき、ふと思い付いたのが呉でした。帝国海軍の拠点であった第二次世界大戦の頃は、全国10大都市に数えられるほどの街でしたからね。1967年までは市電も存在していたそうです。なんとなく興味がありました。 |
そんな訳で、翌日…呉市内を観光してみることにしました。
| こちらは呉の中央桟橋ターミナルです。ここ何年かで瀬戸内海の航路はかなり見直されたようで、「以前と比べると航路は寂しくなったな」という印象を受けました。 |
中央桟橋の周辺には、海軍の町として栄えてきた呉の街とは切り離せない施設があります。
こちらは海上自衛隊呉史料館(※愛称:てつのくじら館)です。 あと、ココでは一般人には馴染みがないであろう潜水艦の内部を覗くことができます。乗組員の方は、かなり暗い中で食事をとっていたり、高身長(180cm弱以上)の方は特殊ベッドになるとか…初めて知りました。 |
「自分は身長で失格」ですが、過酷な生活となることが容易に想像付く世界でありました。。。
この世界で生きていける方、尊敬します…m(__)m
| 続きましては、海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)です。実物の1/10のサイズの戦艦大和の模型も展示されております。 |
ちなみに、この戦艦大和に関する資料は、施設の愛称の通り、非常に詳しいもので…
とにかく読み応えがありました。建造された場所であるためでしょうか。当時の日本の技術の高さがよく分かりますし、戦後、急速な勢いで復興した理由は、「日本だからこそ、可能だったのだろう…」とそう思いました。
また、こちらには第二次世界大戦時に呉や広で発生した空襲の資料も展示されておりました。
広島県内の場合、どうしても原爆の惨劇へ目が行きがちですが、この呉周辺でも無視できないことが起こっているのです。例えば、終戦を迎える1945年…呉軍港へは3月19日の空襲を皮切りに3度、市内も7月1日に大空襲に見舞われ、結果として壊滅的な被害を受けてしまいました。当時の面影が殆ど消え、街の規模としても縮小してしまった現在からでは、当時の状況を想像することは難しいとは思いますが、歴史を鑑みると、「広島に限らず、呉も含めて平和学習の場とするのが正しいのでは?」とそう思わずにはいられませんでした。
献上銘菓「椿まんじゅう」を購入した後、呉駅から呉線を利用し…
途中の広駅で乗り換えたりしながら、この日は、東へ向かうことにしました。ちなみに、どうでも良い話ですが、呉線には漢字1文字の駅が3駅もあります(※他は坂駅)。もしかしたら、これは珍しいことかもしれませんね。

こちらは、呉線の車両と広から先の区間の車窓です。
上記画像の通り、呉線には瀬戸内海やその島々などがよく見渡せる区間が何箇所かあり…
晴れた日は、素敵な車窓を臨むことができます。開放感があって、個人的には好きですね。ただ、戦前~戦中にかけては話は別だったようで…沿線には軍事施設が数多く存在したため、軍艦などを隠す必要があり、海側を木の板で覆っていた写真を呉で見ました。そんな写真を見た後に利用したせいか、「今の時代を生きることができて、幸せだなぁ…」と思わずにはいられませんでしたね…(;^^)

呉線で途中下車した駅は、呉から60Km離れた忠海駅です。広からの所要時間は1時間ほど。
上記画像の通り、ここには港があるので、小さな船に乗り換え、大久野島へ向かうことにしました(※余談ですが、忠海から大三島へ行くこともできます)。

大久野島は、忠海の沖合い3kmほどのところに浮かぶ…
船で10分少々で行くことができる周囲4Kmほどの島です(※自動車は乗入禁止です!)。そんな小島で、戦前~戦中にかけて、日本軍は化学兵器の製造を行っていたため、「地図上からかき消されていた歴史を持つ島(※毒ガス島)」としても知られております。ちなみに、この影響はあまりに大きく、現在でも一部地域の土壌は芳しくなく(※進入禁止区域があります)、宿泊施設として「休暇村大久野島」があるだけで、人家は全くありません。
ただ、人間は住まなくなっても、島を愛し続ける住民?はいます。
| ご覧の通り、ウサギです。戦時中は毒ガスの検知のために使われたこともあったのですが、その後…1971年に8匹放ったところ、天敵がいないこともあってか、繁殖したのです。現在では、彼らの天敵である犬を島内へ連れ込むことが禁止されており、「兎島」とも呼ばれるようになってます。確かに、ウサギたちにしてみれば、この島は「楽園」ですからね♪(※その様子はこちらで) |
| こちらは、島の過去を伝える… |
毒ガスで犠牲になった方の慰霊碑と建物の壁面にツタが這い、廃墟と化してしまった発電場跡(※内部は立入禁止)です。 |
発電場跡は、港の近くにあるトンネルを潜った先で静かに時の流れを刻んでいるのですが…
戦後、この発電場はアメリカ軍の弾薬庫としても利用されていたようで、1956年まで返還されなかったとのことです。このような廃墟は、発電所に限らず、この島には幾つか残存しております。
| 島内の海水浴場をはじめとする風景です。 |
対極の雰囲気が妙なバランスで残る大久野島ですが…
お時間がありましたら、皆さんも是非立ち寄ってみて下さい。広島県は広いですけど…m(__)m
大久野島から忠海駅へ戻った後、再び呉線に乗車しました。


忠海駅を出ると、次の安芸幸崎駅までの区間は車道を離れ、海際をユックリと走ります。
車道から離れているため、JR西日本名物の?保守コスト削減の意味合いもあるようですが、車窓が抜群に良い区間の低速運転は自分のような旅行客にはありがたいサービスですね。
| この辺りは、船舶の往来も当たり前のようにありますし… |
<其の参へつづく(※画像数などの関係にて分割)>
〆
<Postscript>
| 帰りは、のぞみに乗り換えるために下車した福山駅から福山城を見て、車内では三原駅の「元祖珍辨たこめし」を食べながら帰りました。 |
ちなみに、其の参以降ですが…
これを書いていたら、「かなり前に瀬戸内海周辺を旅したときのこと」も書きたくなってきましてね。なんとなく、予めその予告をしたくなってしまいました…(;^^)
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瀬戸内海周遊の旅 其の壱:原爆ドーム~宮島編
随分と前にココでも報告しましたが、7月26日~27日にかけて広島へ行って来ました。
広島市民球場で野球を観ることが1番の目的でしたが、その合間にキチント?観光もしてきたので、そのときの様子などをこちらに載せてみようと思います。
まずは、この日の原爆ドームを…。 |
| 原爆ドームから… |
広島へは何度か足を運んでいるのですが…
実は、日本三景や世界遺産にも指定されている場所へ行ったことがなかったのです…(;^^)
行こうと思ってたときに限って、台風襲来など…そんな事情もあるのですけど。。。
船が発着する広電宮島口駅迄の所要時間は約1時間ほど。
広島電鉄の路面電車に揺られながら、ノンビリと移動を楽しんでみることにしました。
| 終点の宮島口の手前になると… |
宮島口からは船に乗りました。
国内指折りの観光地のためか、15分おきの高頻度運航。これは便利ですね♪
| 船上から宮島を見ましたが… |
| 船着場の前にはシカがいますが、暑いためか日陰にいました。とりあえず、朝から殆ど食べていなかったので、「カキ丼」という感じで…(;^^) |
昼食を食べた後、1400年の歴史をもつ厳島神社へ向かいました。
宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀っているのですが、三女神のうち、市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天と習合しているため、ここは江ノ島、竹生島と共に日本三弁天の1つであるそうです。どうでも良い話ですが、個人的には三弁天巡りも達成しました…(;^^)


さて、厳島神社の歴史ですが、、、
安芸の有力豪族であった佐伯鞍職により推古天皇元年(593年)頃で創建された…と伝承されております。ただ、厳島神社の社殿の基礎が確立し、社運が盛大になったのは、やはり平清盛が久安2年(1146年)に安芸の守に任官し、その一門の崇敬が始まってからとのことです。
造営当初の様式も忠実に守られ、今の時代においても…
平安時代末期の建築様式を知ることができる貴重な遺産である、この厳島神社。
何がスゴイと思うかって、やはり瀬戸内海を池として捉えた…その発想力。そして、腐食しやすくなる床や柱を自然の脅威から守るために考え出された工夫を実現した職人さんたちの技術力。この2点ですかね。少しでも遅ければ、武士の時代。時の流れにも上手くハマったのは、神が惹き合わせた奇跡のようにさえ思えます。
ちなみに、自分が訪れたときは、潮が満ちていた時間でしたから…
大鳥居や社殿、廻廊があたかも海に浮かんでいるような姿を見せておりましたが、この状態こそ、やはり栄華が偲ばれますね。ありきたりの感想で申し訳ないですが、日本の美の素晴らしさを表現している場所の1つだと思いました。
| その後、厳島神社宝物館や大願寺、清盛神社などを巡ったりしながら、宮島の街並みを散策してみました。 島内には、船着場のように新しい建物もありますが、左記画像の通り、まだまだ古い建物も健在。雰囲気も良いと思います。ただ、今回のように暑さが厳しい夏季は体力的に多少厳しいかもしれませんけどね…(;^^) |
厳島神社周辺の観光を終えた後は…
宮島ロープウェー2路線(※紅葉谷線&獅子岩線という路線名らしい)を利用し、島内の最高標高地である弥山(みせん)を目指すことにしました。
ちなみに、上記画像左側が紅葉谷線で右側が獅子岩線です。
ロープウェイの車窓からも瀬戸内海がハッキリと見えるので、単純に往復するだけでも楽しむことができると思います。
上記画像は、ロープウェイの終点・獅子岩駅にある展望台から瀬戸内海を撮ってみたものです。
青々とした海は、太陽の光をイ~ッパイに浴びているせいか、とても色が澄んでいて綺麗です。小さな島が多いからかもしれませんが、湖のような雰囲気もありますね…(;^^)
そして、こちらが猿やシカ…あと、トカゲです。。。(;^^)
この日は暑さも厳しかったせいか、猿もバテテます。子供と一緒にお昼寝してました。ちなみに、島の記録によると、猿は小豆島から、そしてシカは奈良から人為的に移入させたものだそうです(※後者は、戦後米軍がハンティングで絶滅させてしまったからとのことです…)。

弥山の山頂へ行く途中には、大聖院の弥山本堂や2005年に焼失して再建された不消霊火堂があります。巨大な岩が行く手を阻もうとしているような?場所も…(※隙間はキチントあります)。
暑さが厳しい日でしたが、弥山の山頂へやってきました。そして、再度海を撮ってみました。
こちらへ至る迄の登山本道は「宮島の真価は弥山の頂上からの眺めにあり」と伊藤博文が言ったことがキッカケで作られているのだとか…(;^^)
ちなみに、「日本三景」として…
厳島神社の朱の大鳥居の写真がよく使われていると思いますが、実はソレは間違いで…日本三景はこちらの「多島美」が正解です。ただ、個人的には、獅子岩駅の展望台で撮影した作品の方がなんとなく好きなんですけど…如何でしょう!?

ロープウェイで再び元の場所へ戻った後、明治25年に建てられた岩惣という素敵な旅館の横を歩いて、最後に厳島神社境内にある千畳閣(五重塔の隣)へ向かってみることにしました。
| 今は、厳島神社末社豊国神社の本殿という位置付けですが、こちらで祀られているのは豊臣秀吉と加藤清正だそうです。なんとなく違和感が…。 ちなみに、千畳閣は秀吉の死により工事が途中で中止となった未完成の建物なのですが、実はそのおかげで?風通しは抜群に良く、こちらで昼寝を楽しんでいる方が多数おられましたw。暑さを凌ぎたいときは、こんな時間の過ごし方もオススメだと思いますよ。皆さん! |
<其の弐へつづく(※画像数などの関係にて分割)>
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