第43回のテ〜マ:【唄に寄せた思い】(2003.05.20.)

 チョット前の話になるのですが、尾崎豊の命日の日(つまり、4/25)だったでしょうか。彼の特集を組んだ番組を国営放送の衛星TVで4時間程の番組を観る機会がありました。よく考えてみると、この番組だけは偶然にも、毎年の様に、生放送で観ている気がします。毎年の様に。流れる曲なんて、ホボ同じであるにも関わらず。使われる映像に関しても、ホボ同じであるにも関わらず…。

 ちなみに、今の自分には父親がおりませんが、父が亡くなる4ヶ月前に尾崎豊は“26歳”の若さで亡くなってます。未だに、強烈に記憶されているのはそれに因る所が大きいと思うのですが、そういえば…彼が亡くなってから、今年でとうとう11年目に入ってしまいました。しかし、これだけの月日がこの世では流れていながらも、その間に…彼の様なタイプのアーティストが新しく台頭するコトはありませんでした。違った意味でドキッとしたのは、宇多田ヒカルらがいたとは思いますが、彼と同じ路線となると、誰もいませんでした。雰囲気さえありませんでした。。。

 今考えてみても…尾崎豊の曲には他のアーティストには持っていない凄みというか、オーラがありました。若さ故に陥ってしまった、現実のどうしようもない儚さや憂いに対し、自分なりにナリフリ構わず打破してやろうという様な、時には不思議な力さえ沸く様な、あの歌詞。1度頭の中に入ると、【忘れるんじゃねぇ〜!!】と言わんばかりのモノであり…口ずさめば、現在の自分自身を根本から見つめ直せる歌詞でした。いや、詞を口ずさんだ時点で、自分自身を見つめ直したかったのかもしれません。自分も。尾崎豊も…。しかし、彼は新作(アルバム・放熱への証)発売直前に突然倒れるコトになってしまった。そして、瞬く間にあの予期もしない様な訃報が舞い込んだ…。“泥酔”が起因したという、今でも信じたくない様なこのプロセス、あまりにも儚過ぎました…。ワイドショー等で、これでもかって位に見させられた…あの容姿(未だに、俺の中では格好良いランキング上位)が、さらに憂いを増幅させ、そして心の穴を広げました。。。

 しかし、【コレは現実で、自分なりに消化しなければいけないコト…】でありました。あのとき、自分の中で1番真っ先に頭に浮かんだ彼の曲というか、詞は…【卒業(試聴:TU歌詞】でした(昭和60(1985)年1月発表)。未だに、あの曲を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。散文詩ではナイのに、それなりの決まり事の下で、あれ程までに明確で、的確な表現が並べられるのかと…。そして、歌詞に対して、自分の気持ちをココまで生々しくブツけても良いのか…と、とにかく感動したのを覚えている。それと同時に、憂いも感じました。ブッチ曲げた話、海援隊の“贈る言葉”や長渕剛の“乾杯”の様に、教科書に載せられる様な曲ではないですしね。彼は、生まれてからどういう時間を重ね、過ごして来たのだろう…と興味を持ちました。そして、唄った理由はどういう理由だったのだろうかと…。怖さも、多少感じながら、彼のコトを調べました…。やっぱりというか、卒業を発表した約3年後…覚醒剤で捕まってました。その通り…彼は、【若者の教祖】と呼ばれるコトが多かったかもしれないけれども、その過程において…どうも頼りないトコがあった気がする。実際、1曲1曲が…1人の力で作り上げるには重た過ぎたし、覚醒剤なくとも2重人格的だった気もしないでもナイし、彼に少しでも良い唄を生み出してもらうために、ファンが、そしてリスナーが…彼に対して、必死で酸素を注入していた様な所もあったかもしれない。そのせいかどうかは分からないけれども、俺が思うに…様々な境遇の人間が1人の人間が書く詞に対して、深く付き合ってたと思うし、物事を深過ぎる位に考えていたとも思う。各人の心に色がもし塗られているモノと仮定したとき、それは非常に彩り鮮やかなモノであった気がします。。。

 あれから十数年後、今、彼の曲を聴くと…哀しいけれども、この尾崎がスターダムにのし上がって来た時代は、世間ではその時なりに問題はあったかもしれないけれども、【平和だったなぁ…】というコトを俺は感じずにはいられません。今なんか、リスナーがアーティストが唄に寄せた思いに対し、阿吽の呼吸バリに人が付いて来るコトは、極稀な感じになってしまってます。曲の聴き方も変わった感じもするし、【周りが付いて行っているから私も…】的なコトが多過ぎる気がします。また、そんな流れが顕著に表れ始めてから、日常生活においても、次第に各人の本音も他人には分かり辛くなって来てますし、心の拠り所がないのか、殺人事件や自殺が平気で起こり、奇妙な事件も増え、ココぞというときの自身に湧き上がった欲求の抑制力というモノが完全に屈折してしまってます。さらに、弱い人間は対価だけを厳しくしてしまってます。それに従って、街中に流れる唄の歌詞も、時代に流され、憂い方が隠喩的ではなく、直喩的になってしまいました。あろうことか、無意味なウォーニングだけが強くなってしまいました…。

 おそらく、各人が思っている以上に、人の価値観はこの10年で信じられない程に変わってしまったのでしょう。PCが普及するのに比例して、知らぬ間に人の心も機械化して、リース期間が近付いたと同時に付いて行くのに精一杯になり、故障してしまったのでしょう。番組内で、【尾崎豊が“日本版ビートルズ現象”的なモノを生むかもしれない!】と視聴者がメッセージを送っていたけれども、生まなければいけないのかもしれません。永遠に新作が出ないけれども、必ずや彼のナチュラルな唄であれば、定期的にオンエアーし続ければ、機械でオブラートされつつある人々の心を融和させてくれるはずですし…。10年以上の月日が流れた今だからこそ、もう1度再聴する様な雰囲気を底辺から作っていかなければいけないのかもしれません。今回の国営放送の衛星TVの様に。。。

 初めて聴いた人にとっては、きっと…【日本語で唄えたからこそ、尾崎豊という存在がココまで大きくなったんだ!】ってコトが分かるはずですし、心理学研究的な見地から考えてみても、これ程までに良いサンプルはそうそうナイはずですし…(大袈裟かな?)。あの頃は、本当にそんな時代でしたよね? 今の時代に対しても、立ち止まる人さえいれば、歌詞は、無言で何かを訴えていると思います。尾崎のコトを知らない世代の方には、いつでも構わないので、是非とも読んで頂きたいです。。。

 急に思い立って書いたモノで、取り纏め不十分的なトコもありますが、今回は以上にて、【これにて積み残し無】と致したいと思います。今後も、尾崎豊に対して、変わらずリスペクトしながら。。。

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