第55回のテ〜マ:【Revival】(2004.02.29.)


 今回は“1人の作曲もできる音楽好き”として、【いつかは書こう…】と心の中で思っていた“カバーブーム”とか、“リバイバルブーム”に関して、書きたいと思います(→尚、ココでは、前者ではあまりにも響きが良くない気がするので、書き方を後者に統一したいと思います)。

 さて、ココ数年の音楽界の傾向として、発表される曲の割合において、リバイバル曲の比重が急激に高くなって来ております。10年前、自分はこういうコトも起こるとは思いました。ただ、R&B好きとしては…【ラッパー達のサンプリングの元ネタからの芋ズル式かな?】と予想しておりました。まさか、純粋なリバイバルブームがココ迄大きな形でやって来るとは…夢にも思いませんでした。

 然しながら、現在の様にリバイバル曲が大勢力になったらなったで、問題も発生します。【良い曲を風化させないため…】という理由には、さすがに首を縦に振るしかナイのですが、その傾向が顕著過ぎると…【日本の音楽界は、大ヒット曲のリサイクル業界】に成り下がってしまうのです。歌詞やメロディにおいても、その時代の世相みたいなモノが全く反映されていない(過去のモノから修正が入った歌詞は、おそらく…有名所では「明日があるさ」位でしょうね)…ある意味で、無責任な形となってしまっております。

 “リバイバル”が悪いと言うツモリはありません。“キリスト教的視点”にて解釈するならば、【信仰覚醒】とか【原点回帰】の意味でありますし…。ただ一方で、クリエーション活動を行っているアマチュアミュージシャンの人間による“プロの人間を突き上げる様な動き”が下火になってしまいます。そうなると、必然的に彼らのデビューへの道も必然的に狭くなり、本当の意味で時代に合った曲が生まれなくなる要因ともなります。もし、コレにより、隠れた優秀な作家が出て来なくなってしまっては、功罪でしかありません。レコード会社の方々やそんな所に所属しているミュージシャンの方々がそのコトに気付いているのか、どうも疑念を覚えます。。。

 実際問題、現在のリバイバルブームは、アーティスト側も、レコード会社側もあまり確固たる理由もなくやっている様な気も致しますし、隠れた名曲自体を両者が知らない気もしてしまいます。【所詮は、上っ面のヒット曲しか聴いてないんだな…】という感じで。。。

 つまり、斯く謂う自分に関しては…【過去の名曲をリバイバルする動き自体は良いコトだ!】とは思っているのですが、【せっかくリバイバルするのであれば、選曲、アレンジだけでなく、リバイバル元が発売されてからの年数等も含め…全てにリスペクトした上で、発表してくれよ!】とも思わずにもいられないという感じです。そういう意味では、平井堅の「大きな古時計」は大変良い所を突いておりますし、作品的にもクオリティが高かったと思います。あと…森山良子BEGINで玄人リスナーの間でしか名曲扱いされていなかった所を、最後に夏川りみがリバイバルするコトで、3アーティストがかりでの?大ヒットとなった「涙そうそう」に関しては、リバイバルブームのおかげで埋もれずに済みました(自分は、ず〜っと好きな曲でしたが)し、その後…森山良子、BEGINの両アーティストの再評価にも繋がったコトは、大変喜ばしいコトでもあると思います。

 然しながら、評価される作品もあれば、対極に位置するような作品もあるのが常です。結局、リバイバル作業自体が、アレンジャーはともかく…唄う側はカラオケ作業の色が濃くなる訳で、元々のハードルの高さもナカナカのモノ…。プロデューサーも含め、“作り手側の責任が重くなる作業であるはず”なのです。それにも関わらず、ココ迄頻発してしまうと…【本当にクオリティが高い作品はそんなにある訳がナイ】と思ってしまいますし、【とりあえずは、長いものにはまかれておけ! あわよくば、印税を稼いだろう!】という作り手側の“中途半端な気持ち”が垣間見えてしまいます。そして、徐々に俺らは斜に構え、微妙なズレや距離が生まれるコトになるのです。【そんな野望を心のどこかで抱いている人間に騙されてはいけない!】と…。

 例えば、カラオケ屋に行ったときは、リバイバル元縛りで唄ってしまうでしょう…。例えば、*MAPの曲(青いイナズマ他多数)であれば、林田健司。【元気を出して】であれば、竹内まりや。【夏祭り】であれば、Jitterin' Jinn。【Choo Choo TRAIN】であれば、ZOO…みたいな。コレを偏屈者と思うか思わないかどうかは別として、結局は…「リバイバル元の方が良く出来ているだけの話」であり、リバイバルを行ったアーティストは商品名程度のファクトリー状態なのです。

 いつの間にか、皮肉が色濃くなって来ましたが、結局…タレントであればともかく、シンガーソングライターと称されている人間がシングル版のA面において、涼しい顔でカバー曲を持ってくるのは如何なモノかと思うのです。そもそも…シンガーソングライターなんて職業は、俺をはじめ憧れている人は多数いる→参考:筆者の作品←のであり、そういう人間にとってみれば、【コイツ、所詮は曲のストックがないんやろ?】とか、レコード会社自体も新しい作り手が参入して来るコトを力ずくで拒んでいる様にしか思えません。ココ迄守りに入っていると、ビニールハウスで育成されている野菜みたいですよ…。

 【アイツがあれをやってるから、俺はアイツとは全く反対のコレをやる!】的なアーティストは出て来ないものでしょうか。個人的には、その様な動き…期待しております。以上にて、【今回のエッセイの積み残しは無】と致します。

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