第6回のテ〜マ:【North Island's StoryT-5】(2002.10.22.)


★8月22日
 天候の面で散々な目に遭った道東を離れ、列車で陸別へ。久し振りに太陽を見て、それだけで嬉しさが込み上げる等…本当に小さなコトで喜びを感じられた日であった気がします。



@第一幾品川橋梁
(越川橋梁)

@根北峠ルート(244号線)
 この日、雨は小降りになったものの、結局翌日になっても、知床峠ルートの通行止めは解除されず、根北峠ルートで知床斜里駅に向かうコトに。幸いにも、当初の計画を変更して…11時44分の臨時列車に乗車するツモリでいたので、通行止めでも助かりましたが、旅行計画は改めて重要だなと身に染みましたね。かなり飛ばしたのに…駅まで2時間かかりました。。。

 で、撮ってきたモノは…【なんじゃこりゃ?】ってヤツですね。実は、コレは根北ルートを通った暁には生で見たかったモノなのですが、実は旧国鉄が根北線写真:ネット上より)という路線を斜里から標津まで通すべく、作るだけ作っておきながら、この上を列車が通るコトなく廃止になってしまったという【アーチ橋の遺構の一部】です。悲壮感を漂わせるため、敢えてこちら側だけ撮りましたが、これが幾つも連なると…→こんな感じ←になります。鉄が不足していたため、竹や人柱(遺体)を使ったとか…色々な噂があるようです。場所も場所だったが故、とても過酷な労働であったでありましょう。犠牲者は、この上を列車が通らなかったという事実に対し、間違いなく憤りを覚えているでしょう。1回でも良いから通してあげたかったですね。列車が走っていたら…美しい橋であったが故、撮影のメッカとなっていたコトは想像するに難くないですし。でも、住民の数を考えると、そもそもこんなトコに列車を通す計画自体がねぇ…。色々思うと、涙が出そうでした。。。

 ちなみに、このルート…これしか名所系はナイのかと思いましたが、金山の滝というのがあるようです。実は、帰京後、知ったのですが、ヒグマが出没する可能性も0ではナイとか…。

A〜H知床斜里→網走

AStandingT

BStandingU

C車窓T:オホーツク

D車窓U

 知床斜里からは、Aのような【原生花園スタンディングトレイン】という臨時列車に乗って網走に向かいました。乗車前はどのようなモノに乗るコトになるのだろう…と楽しみにしていたのですが、上記をご覧の通り、この列車は…そこらへんで好評を博している【トロッコ】と、見た目的にはなんら変わりのないモノでした。まぁ、敢えてトロッコと異なる点を挙げると、キチントした椅子がナイコトと、Bのような線路際に咲く花を楽しむための双眼鏡が備えられている…といったコトでしょうか(苦笑)。という訳で?、当然の如く、窓はありませんし、“吹き抜け”です。コレが“旅人がこの列車を敬遠した理由”だと思われるのですが…まぁ、当然の話でありまして、実はこの日のオホーツク海側は、まだ台風の影響が残っておりまして…北風がメチャメチャ冷たかったのです。【知床斜里→網走】の区間においては、【海際の車窓が抜群に良いコト】で有名であったりするのですが、旅人はそれをよく分かっていたのでありましょう。“自分自身の身体と列車とを天秤にかけて、自分自身の身体を採った”みたいな。しかし、自分は後者…みたいな(苦笑)。今回の旅行において、この時点では北海道の雰囲気に対し、まだ満腹感をホトンド感じていなかったんですよね。結局…。それが大きな理由です。。。

 ただ、やっぱり【動く前から寒いぞ。コレ!】みたいな感じで、動き出してからは…【何分耐えられるか?】みたいな感じでした。トロッコを繋げているせいか?、時速30Kmぐらいで走ってくれたりするのですが、それでもオホーツク海からの北風は予想以上に冷たくて…。スタンディングトレインの方で風に吹かれたら、すぐに普通の気動車の方で身体を温めて…という繰り返しを行わないと、風邪引くぞ…みたいな感じでした(本当に冬みたいでした)。それでも、自分を含めて7〜8人の乗客は…皆そうしながらも、CやDのような車窓をノンビリと眺めながら、ときにはそれをカメラに収めたりして、スタンディングトレインを満喫してましたね。ハイ。しかし、Cの画像は本当に冬みたい…(;^^)

 次に、下記の画像について…。E〜Gが網走に向かう途中で停車した“北浜”という駅です。Gのように、【ホームの目の前がオホーツク海】というのが物凄く印象的なのですが、Eの駅舎もそれに負けないぐらい良い味を出していて印象的ですし、Fの内装も印象的です。【北の大地にある駅】という雰囲気が全ての面において出ている気がします。しかし、なぜに、旅人はあの駅に使い古しの定期や切符とかを貼り付けていったのだろう…。最後に、Hについてですが…コレは、【今までの自分の旅を中間総括できそうな観光案内版が網走の駅にあったので、撮ってきました】という感じですね。ハイ。。。(;^^)

E北浜駅T

F北浜駅U

G北浜駅V

H旅の中間総括



I特急・オホーツク



Jふるさと銀河線

I&J網走→陸別
 網走からは、左記Iの特急・オホーツクに乗り、網走湖を右手に眺めながら…駅弁を食しつつ、Jの乗換駅である北見へ向かいました。ちなみに、Aのスタンディングトレインに乗らなければ、快速と普通の乗り継ぎで特急料金を浮かせるコトは可能だったのですが…前日、知床斜里の駅でダイヤを確認した際に、滅多に乗れないであろう“臨時列車のスタンディングトレイン”を発見してしまいまして…。せっかく旅した以上は…【臨時列車乗車>ノンビリ】という考えでいたくて、乗車するに至ったのですが、このオホーツク…速度が遅いコト遅いコト。確かに、カーブも多かったのですが、おそらく、枕木とかの状態が良くなくて、スピードが出せないのでしょう。網走から北見までの区間であれば、普通列車の本数もソコソコあるので、上手く時間を合わせて普通列車で行った方が良いかと思います。。。

 オホーツクを降車した後、北見から乗車したのがJの通称・ふるさと銀河線という、ワインで有名な池田との間を結んでいる、第3セクターの北海道ちほく高原鉄道です(旧国鉄・池北線)。そういう訳で、左記の通り…車両の見た目的には結構綺麗目であったりするのですが、これも枕木の状態が悪いのでしょう…。おかげで、スピードは常に30〜40Km平均ぐらいのノンビリ度で、置戸までの車窓は畑ばかりですし、郷愁にはドップリと浸れます。そうそ…面白かったのが、どう考えても乗降がなさそうな駅(【力士がジャンプして、着地したら…穴が空くのでは?】的なホーム)については、ホーム上だけ徐行して通過…ってヤツ。よっぽど利用する人が少ない駅なんでしょうねぇ…(;^^)

 ちなみに、自分は北見から陸別まで利用したのですが、北見からふるさと銀河線を利用して旅するのであれば、【置戸から陸別までの間も利用しないと損だ!】と思いますね。あまりの景色の変わり様に感動さえ覚えますからねぇ…。集落が皆無に等しくて、【これぞ、北海道の山奥】みたいな“緑一色!”ってのは印象的です。そのクライマックスが川上って駅の周辺であったりするのですが、そのうち自然が駅を飲み込むのではないかという勢いですよ…(;^^)。ちなみに、こんなちほく高原鉄道ですが、大赤字のようで…【数年後には廃止】との噂が止みませんから、今回…乗車したコトや、この画像については、いずれ貴重となる可能性が高いです。。。

K〜P陸別

K陸別町役場

L歩道の花T

M歩道の花U

N歩道の花V



O天文台より





P望遠鏡

 そもそも、【陸別になぜ行ったの?】って感じですよね。。。

 まず、知床斜里駅で車を返却してしまったというのが、結構大きな要因であったりします。知床斜里と網走の間は…どうしても列車に乗りたかったのですが、そうすると結局、その日において、移動できる範囲は途端に限られてしまうんで、実はリスキー極まりないコトなんですよね。でも…“長距離移動を急いでも仕方ないだろう?”という思いも多少あったんで、結局…滅多にない機会だし、少しでも多くの道内の市町村を廻ろうと決め、それからはイソイソと時刻表とネット検索を頼りに、小さな町から大きな町まで一生懸命調べました。で、まず自分の頭の中に浮かんだのが【網走で降りて、監獄だけ行っても…】というヤツ。そして、“オリジナリティがあるのはないなぁ…”と思った瞬間浮かんだのが、S木宗男氏の件であれこれ言われましたが、北見から松山千春氏が生まれた足寄への南下。実は、声とメロディーのハマリ具合だけで言えば、松山千春の曲って日本随一だと思っていて、それ故に、前々からその雰囲気を感じ取りに行ってみたくて…昨年のアトランタ訪問と一緒の気持ちがフツフツと湧き上がって来た…のですが、俺が結局選択したのは…足寄の隣町の陸別(苦笑)。最終的な決め手は1つでして…。言うまでもナイコトかもしれませんが、列車の発車時刻の関係です(汗)

 安易に決めたな…という風な印象を与えてしまいそうですが、調査の段階で…空気が綺麗で、冬はオーロラが見えるときもあるぐらい夜空が素晴らしいというコトが分かってましてね。そんな訳で、【実際に行って、生で見てみようじゃないか!】と思ったのです。些細なコトかもしれませんが、純・東京人のせいか…思い切り時間を無駄使いし、ただ空を見る…みたいなコトって憧れだったのですが、ココはそういうコトするのに最高でしたね。とにかく、時間がと〜っても緩やかに流れておりまして…陸別の駅の外を出ても、車が1台もいない、物音もホトンド無…みたいな。そんな街の丘の上で寝そべって、大空を見たりしましたが、心が本当にピュアになった気がしました。。。

 さて、ココからは画像について。K〜Nは、143号線沿いのモノですが…Kは町役場です。素敵な建物だったので、ビックリして、撮ってしまいました…(;^^)。L〜Nについてですが、町役場〜暫くはこんな感じでフラワー通りが続いております。人気がホトンドナイため、知ってる人は少ないんだろうなぁ…と思いながら通りましたが、穴場を旅している感じで、良い気分でした!

 O&Pは、陸別の数少ない観光地?である銀河の森天文台関連の画像です。ココは、陸別の駅から山道を徒歩で45〜50分程上ったトコ(4Km)にあるのですが、さすがに…そこからの眺めはOのように良い感じでしたが、陸別はそれが第一の目的ではなくて…天文台でした。天文台では、Pのような1台?千万円とかするらしい望遠鏡を使って、空を見るコトができるのですが、この日は雲の流れが速くて…陸別の空も御機嫌斜め。でも…数十分に1回は直してくれたのが救いで、俺の目に【金星】だけは見せてくれました。Pは250倍になるよう設定していると聞いた記憶があるのですが、それでも金星は自分の爪ぐらいの大きさでしたね。

〜その他メモ〜
 この日はホトンド列車の移動で、目的地もホトンドなく、車窓を眺めるのが中心という…都会にいると、まずできないであろう、何から何まで非常にノンビリとした1日を過ごせた気がします。本旅行中、こんな日は【この日だけ】でした。1日ぐらい、設定するのもありだと思いました。

 こんな感じで余裕があったせいか?、銀河の森天文台では偶然にも陸別町長・金澤紘一氏とお話しする機会がありまして。帰京後、下記のようなメールを頂戴しております。内容も内容なので、陸別町宣伝の意味も込めて?、掲載することにします。。。

陸別を選んで来ていただいて、ありがとうございます。
陸別は今、交流人口を増やそうと、考えています。
それには陸別にしか無いものを、大事にして、発信して、
後世に残して行きたいと思っています。
1つには、寒さです。しばれといいますが、寒さを資源として
色々な事をやっています。冬の陸別も大変おもしろいです。
2つには、星空のまち、青空のまち、です。オーロラも出現する町として、
科学的にもアジアの拠点となっています。3つには、陸別を開拓した医者、
関 寛斉翁です。司馬遼太郎さん、城山三郎さん達が、書いてくれています。

また陸別へ来てほしいと思っています。連絡ください。
町長室へも寄って下さい。

★宿泊地:夢舎
 ふるさと銀河線・小利別駅から走って30秒のトコにある、学校の廃校を利用した相部屋形式の宿泊施設。宿泊料金は当然リーズナブルで、夕食は宿泊者全員でイッセイに摂る…みたいな。ちなみに、ココのオーナーは陸別タクシーの社長でもあるようですが、【タクシーに乗ったから!】といって、安くはなりません。。。(苦笑)

 んと、ココの特徴としては…夜になると、宿泊者の親睦も兼ねて、全員で軽く飲み会というか、お喋り会みたいなコトをします。もっとも、この日の宿泊者は自分を含めて、6人(内、2人は小人)だったので、コジンマリとしていましたけど…それでも、あんな雰囲気は久々で、今回の旅における印象的な出来事の1つです。ちなみに、自分自身…夢舎のような相部屋形式の施設での宿泊は、山形県のとあるYH以来、10年チョット振りだったのですが、そのとき…あまり大したインパクトもなくて、相部屋形式は【他人が良い良い】と書く程のモノでもナイと思っていた人なのですが、あのときはまだ歳が歳だったせいなんでしょうね…結局。夢舎に宿泊してからは、【もっと前から、こういう形式のトコに宿泊して、色々な人と話すコトで、自分自身の糧にできるコトってイッパイあったんじゃないかな?】っていう風に、自分自身そう思ってます。これからは、観光名所調べだけでなく、宿泊施設調べについても、もっと熱を入れなきゃなぁ…(;^^)

 最後に、残念だったコトは…自分自身が翌日以降の予定をガチガチに組み過ぎたコト。これさえなければ、ココで宿泊した人に釣りを教えてもらえるなど、予想だにしていなかったコトが楽しめたのですが…。ガチガチに組むのも旅だとは思いますが、旅の途中で宿泊施設を予約する…みたいな、【柔軟性に飛んだ、偶発性にも期待した…イイ意味で、いい加減な旅程を組むのも旅なのかな】と思いましたね。自分自身…少しずつ歳をとる毎に、忘れて行ったコトなのかもしれません…。思い出せて良かった。。。

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