第14回のテ〜マ:【Last Run〜観光編〜】(2004.05.04.)


 前頁迄に関しては、JR小野田線の支線である“本山線”と、昨年11月末にて廃線となってしまった可部線非電化区間区間をメインに取り上げさせて頂きましたが、ココからは…その際に立ち寄った所のうち、広島&三段峡を取り上げたいと思います。可部線の可部以遠の区間が廃止されてから、はや半年程。“加筆”がこれだけ遅くなってしまい、本当に恐縮ではありますが…(;^^)

@〜E:広島(2003/9/14)



@広電 at 広島駅

 前頁に記載した可部線に乗車するために、自分はブルートレイン(あさかぜ)に乗車して来たので、広島に着いたのはなんと…朝の6時30分。時間がタップリとあったので、“いつかは訪れたいとずっと思っていた”この広島の街を軽く散策してみるコトに致しました。

 そういう訳で?、市内の交通の足である左記画像@の広電に乗車して…初来訪者らしく、原爆ドーム(旧広島産業奨励館)に行くコトに決めました。



A太田川と原爆ドーム

 さて、“ずっと訪れたいと思っていた理由”に関してですが、やはり…世界で唯一原爆を投下された国家である日本の国民であるからでしょうか。“心のどこかで、アメリカを好きになれない理由”も…1945年の8月6日、9日があったからでしょうか。【今の日本があるのは、アメリカのおかげである】というコトは否定し難い事実と言えど、永遠に消えぬ罪でしょう。然しながら、投下した国家の各種要人達が謝るコトはありません。屈辱的な歴史と言えましょう…。【日本人たらば、“あいうえお…”をはじめとする平仮名や“1+1=2”並みの常識でなくてはならぬ】と思うのは、果たして自分だけなのでしょうか。

 ちなみに、個人的には…人間として生まれた以上は、ポーランドのアウシュビッツ収容所等も訪れなければならない所だと思っております。結局、原爆ドームも含め…自分自身が“生きなければならない理由”を考える上で、“聖地的な場所”なのです。宗教の様な経典や聖書はありませんが、自分自身にとっては存在し続けるコトがそれ以上のメッセージの様な気がして…。

B平和記念公園T

C平和記念公園U

D平和記念公園V

E広島城

 そんな思いを抱きながら訪れた原爆ドームに関してですが…上記画像Bの様な写真で見るのと、目の前で見るのとでは全然違いますね。1つ1つの破片が見辛い写真では、“過去にあった生々しい事実”が正確に伝わりませんね。自分の様なタイプの人間には、「京都奈良の修学旅行より…広島の修学旅行の方が効果あったのでは?」と改めて思いました。原爆が投下されてから、60年近く経ちましたが、感性ある人たらば、亡くなった方の声を聴こうとすると思いますし、自分自身のパワーにすると思いますし…。

 そういえば…この日、自分が平和記念公園に訪れた際、上記画像Dが見える所でギターを弾き語っている人が警備員の方に声をかけられて、こう応えておりました。「他の場所のストリートで唄うのと、平和記念公園で唄うのとでは全然違うからと友達に言われて…」と。気持ち、痛い程…分かる気が致しました。自分と同じ様な人間がいるんだなと思うと…なんか嬉しかったです。。。

 ただ、朝早過ぎて…平和記念資料館に行けなかったのは残念でした(その代わりが広島城:^^;)。広島を起終点にする旅程は今後も立てると思うので、「遅かれ早かれ…いつかは立ち寄る」とは思いますけれども。。。

 最後になりましたが、“世界遺産”としても指定されている原爆ドームがある限り、この国は見た目的には平和であり続けると思っておりますが…ココ数年は、治安に関しては疑問符が付く様な状態と言えます。【不安を感じたら、原爆ドームに自ら来訪するコトで、生きるパワーを得て、自身の中でリスタートを切って頂きたいな】と、心からそう思いました…。

F〜S:三段峡(2003/9/14)



F三段峡案内

三段峡迄のアクセスに関して

自分は可部線で来訪しましたが、“可部線は各駅停車だけしか走っていない路線である”ため、広島から三段峡の駅迄の所要時間は、列車で2時間20分程でした。また、路線バスに関しても…可部線の主要駅である可部や加計等を経由していたため、こちらでもやはり2時間程(可部から1時間20分程)。当時においては、「三段峡がある戸河内町は遠いなぁ…」という印象はどうしても拭えませんでした。

然しながら、列車が廃止された現在の状況は…と言いますと、なんと当時の三段峡駅迄の“高速バス直行便”もある様で、広島からの所要時間に関しては、1時間15分だとか。今迄は、所要時間に違いがあり過ぎる列車に配慮していたかの様です…(バス時刻表鉄道再生協会)。

 三段峡駅に到着してから…駅右手に向かうと、上記画像Fの様な案内があるのですが、自分は駅前に停まっていた“赤いマイクロバス”に乗車致しました。実は、太田川の支流である柴木川沿いの渓谷・三段峡は…駅を基準にした際、北にある芸北町の人造湖・聖湖(樽床ダム)迄の全長13Km(16Kmというサイトも有)にも及ぶ“日本屈指の名峡”と言われる程の大渓谷なのです。「奥三段峡」と呼ばれている箇所もあります。さすがに、コレだけの規模の所を日帰りで観光するとなると…早朝から廻らないと、この自分でもかなり厳しいです。そういう訳で、三段峡五大壮観と呼ばれている所(猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝。あと1つは黒淵か龍門。情報錯綜…^.^;)のうち、聖湖寄りの三ツ滝や龍門は諦めて、他の所は頑張って廻ろうかと…。それ故の【マイクロバス利用】でありました。

 ちなみに、このマイクロバス…非常にありがたいコトに、猿飛、二段滝、三段滝を見に行く上においては、比較的楽な“出合橋”という所(駅と聖湖の中間位)迄向かってくれます。途中、深入山にある“いこいの村ひろしま”という所も経由するので、所要時間は約30分程(料金は片道700円)かかりましたけれども、柴木川沿いを徒歩で…となりますと、出合橋から三段峡の駅迄は、自分の脚力でも1時間30分程…。やはり、日帰り観光であれば、マイクロバスを利用するのが良いかと思われます。



G猿飛

 さて、出合橋から上流方面へ少々歩くと…渡船場がある所に着きます。そこが左記画像Hの猿飛(さるとび)と呼ばれている所です。この名称の由来は、岩壁の間の幅が御覧の通り…というコトもあり?、その昔は猿が楽しく飛び回っていたそうで、それ故だとか。。。

 ちなみに、左記画像ではロープが見えると思いますが…このロープ、実は船頭がコレを手繰りながら船を進めて行くための重要なモノで、反対側から来る船とも上手くすれ違います。まさに、これぞ“人力ロープウェー”とでも言いましょうか。旅情抜群です!



H二段滝

 尚、到着地点には右上記画像Hの二段滝があります。1988年の水害により、1段目が崩れてしまったそうで、現在は御覧の通り…という感じですが、水の流れや勢いはどことなくその名称を髣髴させる様な趣があり、間近で見ると…予想以上に華もあります。

 然しながら、ココから先には進めません…(;^^)。そういう訳で、自分は一旦猿飛に戻り、ソコからこの渓谷名称の“由来となった”三段滝を見るべく、北の聖湖方面へ向かうコトに致しました。ちなみに、猿飛から歩くこと数十分程度で、左下記画像Iに巡り合うコトができます。



I三段滝

 如何でしょうか? 滝としての美しさも然るコトながら、それを演出する木々の緑が大変美しい所でしょう? 自分の“美のツボ”は強い刺激を受けました。それ故に、【日本の滝百選には選ばれておりませんが、個人的にはオススメ度が非常に高い滝】であったりします。

 またいつか…できれば、紅葉の時期にこの美しい滝を見に行きたいです。それ迄は、撮って来た画像を大切にしなければ…。



J三段峡 1

K黒淵付近 1

L黒淵付近 2

M三段峡 2

N三段峡 3

 さて、ココからは前述した出合橋〜三段峡駅迄(出合橋から南に進路を採った場合)の…“距離にして、約5Km程の渓谷美”ですが、如何でしょうか? “散策道には最小限の手すりしかなかった”ので、インスピレーションに任せて、日光の影響が最小限で済みそうな所を中心に、アレコレ撮って来ましたが…今、客観的に見ても、【三段滝の様な華になる作品は少ないけれども、粒揃いのモノは揃ったな】という自負はあります。。。(;^^)

O赤滝

P三段峡 4

Q三段峡 5

R姉妹滝



S三段峡 6

 さて、この三段峡において、何故手すりが少ないのでしょうか。実は、“限りなく自然の状態を保持する”という目的があるが故なのですが…仮に、観光客に事故等があった場合の“責任問題”を考えると、“最小限の開発は、リスクを伴っていると考えてしまうのが現代的な発想”。おそらく…今迄も含め、未だにある程度の良識ある散策者しか訪れていないが故に保たれて来たのでしょうね。

 そのおかげで?、散策道のあちこちで小さな滝(EX:画像J、O、R、S)を見るコトができます。自分は予備知識無で行ったため、予期せぬ驚きがあり…歩いていて、非常に愉しくもありましたし、癒されました。もしかしたら、三段滝の様な大きな滝よりも、こんな小さな滝の方が涼感があるかもしれませんね。そんな滝を見ていると、【今迄通りの方針で、三段峡の美しさを末永く保ち続けて行って欲しいな】と、自分は心からそう願って止みませんでした。。。

 以上にて、簡単ではありますが…観光編も含め、終了致します。。。m(__)m

(注) 三段峡“駅”と記載している部分が多々ありますが、自分が来訪した当時です。為念。

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