第18回のテ〜マ:【みちのく旅情A 三陸編-1】(2004.11.03.)


 今回は、【みちのく1人旅】のうち“三陸編”を取り上げたいと思います。岩手県に関しては、昨年は渋民に…そして、以前にも千厩町の農家で1週間生活した経験もありますし、その数年後…リアス海岸地域を母親と中学時代に調査し、3家族で訪れた地でもあるため、“今更0から調べなくても実は結構知っている地域”であったりします。それ故、今回はこれ迄に来訪できなかった箇所をどれだけ廻るかがテーマでありました。

 例えば…“鉄道ファン”の方であれば、1度は乗車したいであろう…JR山田線の山間部区間(盛岡〜宮古間)とJR岩泉線。“スムーズな観光には全く適さない”この2路線を取り上げるために、早起きして時間を合わせ、乗車して来ました(乗車するだけでも、かなりの気合が必要なのです)。それと、本年4月の九州来訪時同様…【1度来訪した所を何箇所かは再訪する!】というテーマもこなしたかったので、その様な観光地に関しましても、もう1度巡って来ました。

 そんな訳で、秋の時期における1泊2日旅行にしては、かなりタイトなスケジュールでの周遊となりましたが、各所における趣ある景色には、心身共に御陰様でリフレッシュするコトができ、満足感で充たされたモノとなりました。その一部始終に関して、どうぞ御覧下さい。

@〜M:山田線(盛岡〜宮古間:2004/10/23)

 東京駅をAM7:20に経つはやて271号に乗車し、朝早くから盛岡に向かいました。この列車は“臨時列車”というコトもあり、前後に発車するはやて号とは異なり、空席が多々見受けられ…東京から2時間40分の移動となりましたが、快適なモノとなりました。

 然しながら、今回の目的地である三陸周辺の各都市は…まだまだ先。この盛岡からでも、宮古は東に直線距離で約90Km程の所です。【遠いよなぁ…】と思う方は、夜行バス(参考:宮古行/釜石行)を利用するのかもしれませんが、自分は敢えて…地元の方に、“列車に合わせて来訪した”というだけで感動されてしまった1日たったの4回しか宮古迄向かわない不便極まりない?JR山田線を利用し、移動してみるコトに致しました(参考:昔のダイヤ)。山田線とホボ並行して走っている路線バスは、1時間に1〜2本は走っているにも関わらず…。



@車窓T





B車窓V





D車窓X

 何と言っても、この山田線…県都である盛岡を経って、約20分後には左右の画像の様な車窓に変わってしまうのです。画像@なんて、藪道でしかなく…画像Aにしたって、持ち上げれば“自然豊か”という感じになるのでしょうが、冷めた言い方をすれば、ただの山奥…(苦笑)

 …でも、紅葉はとても綺麗でした。光の加減がもう1つで、多くは収めるコトができずに終わってしまいましたが、どことなく秘境感さえ漂う車窓でしょう?

 既にこの時点にて、【途中駅での乗降客が如何にも誰もいないかの様な雰囲気を醸し出しております】が、実際の話、目に見えて乗降客があったのは…僅かながら区間列車も存在する盛岡から10Km圏内の3駅目の上米内位迄でした。この上米内の手前でさえ、既にノドカな雰囲気がありましたが、ソコから先…宮古迄の90Km程は、快速列車であったとはいえ、たったの1〜2名しか乗降客ががいなかったのにはさすがにビックリしましたね。【コレだったら、上米内より先、宮古迄の途中駅は全て通過しても良いじゃない?】みたいな…(;^^)

 こんな閑散路線でありながらも、山田線は何故か廃線対象として挙がりません。それもそのはずで、盛岡〜宮古間において、実は“山田”という地名は存在しません。山田とは、宮古の南隣の町で、“山田湾内を巡る観光船も出ている所でも有名な所”なのです。。。

 つまり?…実際の運行形態はともかく、書面上の山田線の起点は宮古ではなく…その昔、栄華を誇ったラグビーや製鉄所で有名なあの釜石で、総延長は157.5Km。宮古経由の路線であるため、盛岡との間を図で表すと、“カタカナのコの字の下線が消えた珍しいモノ”となっております。



A車窓U





C車窓W





E車窓Y

 ちなみに、今回…自分が乗車した、上記の通り、何ともノドカな山村の車窓で魅せる?盛岡〜宮古間は山田線の2/3も占める102.1Km。それでも、廃線とならないのは、釜石〜宮古間の利用客がカバーしているからという理由に他なりません。。。

F盛岡駅にて

G茂市駅にて

H車両T

I車両U

 そのコトを無言で訴えているかの様に、盛岡〜宮古間を駆け抜ける車両に関しては、未だに古き国鉄時代を思わす旧型車両のみ(釜石〜宮古間は新鋭車両)。中には、途中下車する際には、冬季でなくとも手動でドアを開けなければならない車両(画像G:キハ52形)であるコトも…。そんなコトもあってか?、たとえ単行走行であったとしても、車掌さんが必ず乗務しております。

 まさに“平成”という時代から取り残されたかの様な区間ですが、それでも…区間内16駅のうち、有人駅が5駅(上米内/区界/川内/陸中川井/茂市)もあり、ホームから駅員が列車を見送る風景は古き良き時代さながら…。自分が乗車していた列車は快速列車ではありましたが、通過する川内駅といえども、その風景が変わるコトはありません。こんな風景、小説等の活字の世界だけかと思っておりましたが…まだ実在しております。じ〜んとしましたね。



J車窓Z



L車窓\

 さらに、この区間を際立たせてるのが、宮古方面の下り列車ダイヤ。夕方以降1〜2本しか停車しない駅が4駅(大志田浅岸/松草/平津戸)と、日中以降3本しか停車しない駅が1駅(区界)あります。上米内〜川内間51.6Km。“列車での到達困難”という意味で、逆に訪れる人は絶えないとも耳にしますが、実は…今回1番紅葉が綺麗な区間であったのが、このうちの上米内〜区界間。光の加減により、駄作ばかりとなってしまい言葉だけでしか伝えられませんが、あの車窓は【至福の境地】です。

 尚、川内より先は左右の各画像の通り、閉伊川沿いのノドカな山村風景が特色となります。前述した50Km超の区間と比べますと、さすがに秘境度合いはやや低くなりますが、コレはコレで趣ある車窓だと思いますね。

 そんな訳で、山田線は…秋口だけでなく、雪解け後の春先や真冬等に関しても、非常に興味をそそられる…まさに“巷の噂通りの?路線”でありました。時間が見つかったときにでも、また再訪してみようかと思いますが、利用しに行くのがツライかなぁ…(;^^)



K車窓[



M車窓]

N〜O:三陸鉄道(2004/10/23)

 宮古で三陸鉄道に乗り換えました。今回は、【宮古→小本/小本→田野畑/田野畑→宮古】という感じで、“北リアス線だけ”を16年振りに利用致しましたが、この三陸鉄道は2路線運行しております。この北リアス線に関してはJR山田線・宮古〜JR八戸線・久慈間を、今回は乗車しなかった南リアス線に関してはJR大船渡線・盛〜JR山田線・釜石間をそれぞれ結んでおりますが、三陸海岸沿いはJR線とサンドイッチになっている不思議な状態です。それもそのはず…実は、三陸鉄道は第3セクター鉄道(しかも1番最初)であるため、部分開業していた旧国鉄の赤字路線3線(盛線/宮古線/久慈線)を引き継ぐと共に、延長工事し開業に漕ぎ付けた…という経緯があるためです。



N宮古駅にて



O田野畑駅

 そんな三陸鉄道も…今年で営業開始からはや20年だとか。この路線がなければ、三陸海岸沿いを列車で廻るコトは極めて困難であるため、自分みたいな旅行者には“本当に助かる路線”であります。。。

 然しながら…当時とは随分変わったなという印象も強かったです。何と言っても、やはり料金でしょうか。宮古〜小本間の料金が【当時より200円位値上がりしたのではないかな?】というのが自分の第1印象です。経営状態は芳しくなさそうなのは明らかでしたが…それでも、北リアス線内に関しては、1日フリー乗車券を利用すれば2000円(南リアス線は1100円)で済ませられる様なので、頭を使った方が良いかと思います。

 あと…車両の塗装も変わってましたね。当時は白地ベースの赤&青という感じの列車が全てだったと記憶しておりますが、今では…赤地ベースや左記画像Nの様な青地ベースに塗り替えられている車両もある様ですね。

 ところで、三陸と言えば…やはり、リアス式海岸。それにも拘らず、左記の通り、車窓の画像が1枚もありません。実は、この三陸鉄道は当時の国鉄の技術を駆使したトンネル区間が非常に多く、“地下鉄”と言っても過言ではナイ故です。こと南リアス線に至っては、【60%以上がトンネル区間】なのだとか。ある意味で、夜間等…如何にも車窓が見れない時間でも利用しやすい路線とも言えましょうが(自分が旅行計画する場合、こんな感じで組んで行く訳です…^_^;)。

P〜Q:北山崎展望台(2004/10/23)

 宮古から小本へ出て、龍泉洞を巡った後(次頁に記載)、再び小本に戻って三陸鉄道に乗車し、2駅先の田野畑で下車しました。この田野畑に何があるのかと言いますと…旅行雑誌のパンフレット等でもよく載っている三陸リアス式海岸に関する“御馴染みの写真”を撮るコトができる北山崎展望台があるためです。



P北山崎T



Q北山崎U

 ちなみに、北山崎の来訪に関しても16年振りであった訳なのですが…実は、前回訪問時は夏季であったため…三陸海岸側や道東で見られる夏季特有の霧が酷く(かの有名な“やませ”)、真っ白という感じでした。そのため、田野畑の隣村である普代の太田名部港から小さな船に乗って、海側から断崖を見ようとしたのですが、北山崎の断崖の迫力を大幅に奪う程に霧は濃く、【ガッカリして帰って来た…】という苦い記憶があります。

 そのため、【10月である今回こそは…】という気持ちは強かったのですが…左記画像Pの通り、素晴らしい眺めを収めるコトができました! このスケールの大きさ、自分が記憶する限り…【確実に全国レベル】ですね。国内では、おそらく…離島以外では、こんな海岸線はそうは拝むコトができないと思います。太平洋側ではありますが、まるで“日本海側であるかの様な男性的な海岸線”が大変印象的です。旅行会社でも三陸旅行のクライマックスとして、人気は高い様です。

 ただ、こんな絶景が拝められる観光地も…実は、沿道である44号線の住民は殆どおらず、16年という年月の間にJRバスが廃線となってしまった様です。そのため、南の田野畑側、北の普代側共、村民バスを運行してはいる様なのですが、季節運行とか、休日運休とか条件付で【旅行者にとっては非常に不便この上無】という状況です(参考:バス路線)。よって、列車旅の場合は【タクシーでしか来訪できない地】と思って下さい。4800円も支払って(涙)迄行く価値があるかどうかは、左記画像P&Qの写真が参考になるかと思います…(;^^)

→戻る←  →次頁へ←