第19回のテ〜マ:【紀伊旅情 1】(2005.06.21.)


 今回は、紀伊半島を取り上げたいと思います。昨年(2004年)の7月、熊野三山周辺等が高野山と共に【世界遺産】に指定された後、人々の注目度が俄然と高まりつつある地域ではありますが、実際にこちらを訪問したコトがある方は、まだそう多くはナイかと思いますので、このコーナーで取り上げてみようかと思います。。。



南紀 at 名古屋駅

 さて、まずは紀伊半島へのアクセス方法に関して…。一般的には、紀勢本線の特急が便利かと思います。名古屋を起点としている左記の特急・南紀、京都や大阪を起点としている右記の特急・スーパーくろしお&オーシャンアロー。ちなみに、紀伊半島南東部の中心である新宮迄の所要時間は、名古屋からは3時間30分程、大阪からは3時間20〜50分程。首都圏からの場合は、大宮と池袋から発車している夜行バス(参考:ダイヤ)の方が時間的な効率は遥かに良いかと思われます。



くろしお at 新宮駅

 尚、今回の自分は南紀を利用したのですが…名古屋方面と紀伊を結ぶこの特急、普段から利用者が少なそうです。実は、桑名や津、松阪は近鉄の方が割安で、本数も多く…さらに、南紀の交通費に関しては、【JR+伊勢鉄道】という感じで第3セクター会社の運賃迄加算されるオマケ付。哀しいがな、松阪以南に行かれる方しか利用していないのがこの特急の現実であったりするのですが、12月30日の年末でも、紀勢本線の西側を走行するくろしおは大混雑だった一方、南紀は普段の倍の6両編成のせいか、余裕がありました…(;^^)



海岸線の車窓

 そんなコトを分かっておきながらも、名古屋から利用したのは…行き帰り夜行バスは体力的に厳しいですし、松阪で近鉄からJRに乗り換えるのも面倒で…。そんな程度のモノです。ちなみに、名古屋から南紀に乗車すると、松阪駅のかの有名な駅弁・牛肉弁当を車内で頼むコトができますよ(御参考迄)。

 次に、紀勢本線の東側の車窓に関してですが…多気以南は地形的にも険しく、紀伊半島の自然のスケールの大きさが感じられるかと思います。一部は、歴史も比較的浅い1959年に開業した区間も含まれており、【よく列車を通したなぁ…】という風にも感じるのではないでしょうか。また、尾鷲から先の区間等では美しいリアス式の海岸線を随所で観るコトができますので、海側に座った方が良いかと思います。ちなみに、左記画像は新宮から少し西の方に行った所の車窓です。

@〜G:那智山(2004/12/30)



@飛抄神社

 特急・南紀は、終着駅の紀伊勝浦迄乗車致しました。翌日の天気予報があいにくの雨であったコトもあり、晴れている空の下で観たいモノに関して、前日に簡単に優先順位を付けたのですが…最上位となった所が那智の滝でした。理由と致しましては、【雨天時に滝が霧に覆われてしまい、全景を観るコトができなかった…】というコトが、以前あったためです。

 そういう訳で、まずは勝浦駅からバスに乗車し、那智山に向かうコトに致しました。



A那智の滝T

 ちなみに、勝浦駅と那智山との間を結ぶバスに関しては、切符売り場で購入すると、【多少割引があります(往復:1000円)】が、例えば勝浦駅と熊野古道の雰囲気を色濃く残していると言われている大門坂との間を往復するだけの場合は、実は損をしてしまうので、注意も必要です(御参考迄)。



B大門坂

 参考情報はこの程度にして…さて、自分が目指した那智山に関してですが、前述した滝(飛瀧神社)、熊野三山の1つである熊野那智大社、青岸渡寺を中心とした一体の“総称”なのですが、その参道の一部が熊野古道であり…この大門坂。大門坂のバス停から数分歩くと、この様な苔が生した趣がある山道が出迎えます。

 ココは、熊野観光におけるクライマックスの1つでもあるため、ポスターでもよく取り上げられますが…古代から幾重にも積み重ねられて来た独特の崇高な雰囲気を、自らの足で登ってみるコトで感じられるコトが多々あると思います。古の人も…そんなコトを思いながら、足を止め、自らの邪念等を振り払っていたのかもしれませんね。

 ただ、この道も人間が通りぎると苔が生さず、そのうち…当時から保たれて来た雰囲気が崩れると聞きます。観光客は増加しておりますが、一方で難しい問題も抱えているのが現状です。

C熊野那智大社

DBurn...

E青岸渡寺

F三重塔と滝

 そんな状況下に置かれている大門坂を登り切ると、御土産屋が立ち並ぶ通りに出ますが、ココからが那智山の核心部となります。熊野信仰の霊場として長い歴史があるこの那智山は、元々那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でありました。前述した通り、“総称”と記載した所以も、明治元年(1868年)の神仏分離令に因るモノであって、那智大社と青岸渡寺の建物は隣接しております。

G那智の滝U

 ちなみに、西国三十三所霊場の第一番札所である青岸渡寺の現在の本堂は、織田信長の焼き討ちに遭った後、豊臣秀吉が1590年に再建した桃山様式の建築で、重要文化財にも指定されている南紀最古の建築物であるそうで(※個人的には、信長はこんな感じであちこちで歴史を壊しているため、好きになれない…)、神仏分離例の際に取り壊されなかったのは、西国三十三所霊場の第一番札所であったが故だとか…。こう振り返ってみると、熊野は結構歴史に翻弄されているのですね…。

 最後になりましたが、飛瀧神社の“御神体”である日本三大瀑布・那智の滝に関して。この滝は、落差133mの日本一の直瀑で、滝の右手には国の天然記念物として指定されている“那智原始林”が広がっております(※左記画像Gでは虹も美しいですね)。また、この滝の上流には、「二の滝」、「三の滝」と呼ばれる美しい滝もあるそうで、こちらでは修験者により滝行も行われていた模様です。

H〜I:勝浦→潮岬(2004/12/30)

 せっかく勝浦迄来たので、那智山から勝浦に戻った後は、左下画像Hの通り、雨天の日に行っても仕方なさそうな?潮岬へ向かうコトにしてみました。ただ、再び戻った勝浦駅では、本州最南端碑がある潮岬への玄関口でもあり、民謡でも有名な串本へ行くのに、特急列車はともかく…普通列車の本数が新宮方面と比べると少ない上(→それでも2時間おき程度で10本程はある…)、全般的に駅から発車するバスとの接続も芳しくなく、潮岬迄の移動はバスによるモノとなりました。



H本州最南端の碑

 ちなみに、このバス路線…乗ってみると、海際を中心に通るため、車窓に関してはかなり良いです。勝浦から串本は8駅目というコトもあり、潮岬へ行くという意味では時間帯的に途中下車が困難であった(JRで26.7Km)のが非常に残念でならないのですが…例えば、普通列車しか停車しない湯川という駅の目の前は森浦湾。数時間ノンビリするには個人的にはオススメです。あと…バスであれば、橋杭岩という観光名所の近くも通過するので、串本迄の約1時間の車窓に関しては飽きるコトがありません。列車&バス、共に利用して頂きたい区間です。



Iバスからの車窓

J〜M:潮岬(2004/12/30)

J潮岬灯台

K灯台からT

L灯台からU

M太平洋と灯台

 白亜の灯台が聳える、この潮岬への勝浦からのバスの所要時間は約1時間20分程(※串本からはバスで20分程)。資料館としても利用されている、この潮岬灯台は上るコトができ、海風に打たれながら太平洋の大パノラマを一望するコトもできます。また、上記画像Mの通り、夕暮れ時は特に美しく…天気さえ良ければ、その景色は旅の思い出として記憶に深く刻まれるかと思います。ちなみに、灯台の近くには「望楼の芝生」と呼ばれている広大な芝生の丘があり、ソコに最南端記念碑や観光タワーがあったりします(※画像Mはソコで撮りました)。

 余談ですが、この潮岬がある本州の隣には「紀伊大島」という島があります。樫野崎という所の断崖は豪快で、「海金剛」と呼ばれる箇所は特に素晴らしい様です。そんな樫野崎では、その昔…トルコ船エルトゥールル号が沈没したという哀しい歴史もあります。このとき、荒天であったにも関わらず…乗組員を大島の人間が必死になって救助し、60数名が助かったそうです。以来、トルコ人は日本人に恩義を感じ、歴史の教科書でもキチント教育しております。その影響もあってか、イラン・イラク戦争時において、「異国民でありながら、その御返しもありました」(※そんなトルコ人との友好の証として、この串本にはトルコ記念館があります)。

 尚、この歴史に関して、自分自身…学生時代において、教育を受けた訳ではありませんが、ある程度は把握していて、トルコ人とトルコを旅した際に絶対に聞こうと思って…興味本位で、観光船の土産売りの方に迄、直接話を聞いたコトがあります。反応はどうだったかと言いますと…日本人の想像以上の恩義を感じてますよ。日本人を嫌う中国人や韓国人がいたものならば、大変なコトになるコトは間違いありません…(※おそらく、彼らを許さないでしょうね)。私見ではありますが、歴史教育が度々論議される昨今を思うと、こんな歴史こそ1番教育すべき事柄であると思わずにいられません。

〜宿泊先情報:ユーアイホテル(2004/12/30)

 ホテル周辺の商業施設は少なく、雨天の場合は駅やバス停迄の距離が遠く感じるでしょうが、至近距離に銭湯とラーメン屋がそれぞれ1件ずつあるのはありがたい限り。不満を挙げるとするならば、朝食の御値段。美味しいのは認めるけれども4桁というのは…(;^^)

N〜Q:熊野本宮大社(2004/12/31)

 上記の旅程を愉しんだ翌朝は、予想通りの大雨…。気温も非常に低く、降雪もあるのではないかと思い、早め早めの行動を…と思い、新宮駅を8時前に発車する朝方に3本ある特急バスの1本に乗車し、本宮に向かうコトに致しました(※特急料金は無/普通のバスを含め、1時間に1本程度有)。

 ちなみに、旅好きの方ならば御存知かもしれませんが、この特急バスが…十津川街道経由にて、日本一広い村である十津川村を越え、奈良県にある近鉄の八木駅へ至る山越えバス。所要時間に関しては、なんと最低でも6時間30分を超えてしまう、泣く子も黙る?日本を代表する奈良交通超長距離路線バスです。停留所案内のテープも1本では足りず、2本使うという、この“スケールの大きさ”に関しては、他の路線は足元にも及ばないコトでしょう。途中の上野地という所では…日本一長い鉄線の吊橋である“谷瀬の吊橋”を観光するための休憩時間(※運転士さんにとっては、御握り休憩タイムらしい)もありますしね。

 旅好きであれば、色々な意味で1度は完全走破を目論見たくなる、この路線…新宮から今回の目的地である本宮迄の所要時間は1時間〜1時間30分位ですかね(※八木はまだまだ遠い…)。殆どの区間で乗客が自分1人で、運転士さんとの会話も弾んだため、勢いで八木迄乗車したい所でしたが、今回は諦めました。でも、いつかは…(;^^)

N熊野本宮大社T

O熊野本宮大社U

P神門

Q社殿

 熊野川沿いをバスに揺られながら、この熊野本宮大社でした。熊野三山のうち、唯一駅から1時間以上離れた山間部にあるため、現代においてこそ、どこか取り残されてしまったかの様な感もありますが…実はココが熊野信仰の総本山。そのせいでしょうか…。鳥居を目にしただけで…妙に興奮する自分がいました。。。

 然しながら、そんな自分は自然と一体になった雰囲気に飲まれている?だけ…。実は、本宮大社の社殿は現在の所にずっとある訳ではありません。元の社殿に関しては、実は熊野川とその支流の音無川と岩田川が合流する大斎原(読み:おおゆのはら)という“中州”にあった様なのです(※現在、大斎原から雰囲気を伺えるモノは、再建された日本一の高さを誇る鳥居のみ)が、明治22年(1889年)の大洪水で倒壊してしまったために、明治24年(1891年)に神像と共に現在の地に移されたとのことです。自分みたいな現代人にしてみれば、中州にあったコト自体、驚きの話でもありますが、残念ながらこの際に規模的なモノも1/8になってしまったのだとか…(※ちなみに、さらに過去を遡ると、大火にも見舞われたコトもある様で、この際に数多くの重要な資料が失われた可能性は高い)。

 それにも関わらず、画像Aの様な薄暗い独特の吸い込まれる様な雰囲気さえある杉並木の石段からは、総本山としての格式の高さや栄華の名残を感じるコトができるかと思います。古代から変わらぬ価値観みたいなモノは、たとえ規模は小さくなろうとも息衝くとでも申しましょうか…。

 ※次頁では、瀞峡や大台ヶ原を取り上げます!

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