第17回のテ〜マ:【九州横断旅情 3】(2004.05.29.) | ||||||||||||||||||||||
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この日は、駅前から出ている画像@の市電に乗車し、豊臣秀吉の家臣の中でも特に戦上手で有名な加藤清正が、東高西低の自然地形を最大限に生かして慶長6(1601)年から7年もの歳月をかけ、築城した熊本城(別名・銀杏城)に行ってみるコトにしました。 この熊本城…現在でこそ、国の重要文化財に指定されている画像Bの宇土櫓等以外の建物の大部分が復元モノであり、天守閣は資料館兼…という感じではありますが、1877年の西南戦争時に炎上する迄は、豪壮雄大な構えで“日本三代名城”と謳われたとか。それ故、歴史遺産としての価値を高めるべく、築城400年となる2007年を目処に、現在も復元工事が行われております。 ちなみに、熊本城の特色の1つとして必ず挙げられるのが石垣技術です。上部になるにつれて反り返しているため、簡単には登れない様な構造(武者返し)であるのですが、これは清正が近江から石工を連れて来たがためになせたことの様で、築城してから200年後には、本頁にて後述する石橋(本頁で後述)を造る際にも応用されたとも言われております。また、画像Cの天守がある一方で、関ヶ原の戦で敗れる迄は、肥後を清正と半々で統治していたキリシタン大名・小西行長の宇土城の天守閣を移設したとも言われる櫓は、内部も含め一城レベル…。「武将の名刺は城だ」ともよく言いますが、熊本城は清正自身の理想をトコトン追求した城であったと言えましょう。 最後になりましたが、歴史的なコトを含めて、少々…。【熊本=細川氏】というイメージもありますが、その基礎を固めたのは、清正と行長です。清正が“日蓮宗”、行長が“キリスト教”というコトもあり、【同じ肥後と言えど、内政も文化も相当違った】と思われるのですが、行長が築いた文化は、島原の乱の後、天草四郎の出身地が行長の拠点であった宇土であったという理由故、江戸幕府の命令により徹底的に破壊されてしまいました。個人的には、自ら布教活動に務めていたと言われ、宗門の掟故自刃が行えないと、祈りながら京都六条河原で斬首されたとも言われている行長の文化が現在ではホトンド確認できないのが、本当に残念で仕方ありません…。 D&E:熊本→矢部(2004/04/25) バスを利用するため、熊本城から熊本交通センターに来ました。実は、この熊本は列車とバスの中枢が綺麗に分離されていて、この交通センターは駅以上の大ターミナル。ショッピングモールやホテルも併設されております(広い×2)。バス専門のターミナルで、ココ迄大きかった所は、自分の記憶にはありませんし…おそらく、【全国でもトップクラスの規模】でありましょう。 そんなバスターミナルから自分はドコへ行ったのかと言いますと…通潤橋がある山間部の矢部町です。しかし…矢部への来訪に関しては、行く前からかなり迷っておりました。例えば、バスルートに関しては、「高千穂から馬見原経由で頑張って行くべき所なのでは?」と…。そして、実際来訪してからは、雄大な阿蘇の山並を目の当たりにしてしまったコトもあり、「そもそも、ソコ迄して行く価値がある所なのか?」と…。悩みは非常に深かったのですが、結局…阿蘇は車でキチント廻るべき所ではないかと思いまして。今回は通潤橋を採るコトにした…という感じです。。。 ただ、この通潤橋…熊本の中心部からはメチャクチャ遠いです。自分の手元にあった古い時刻表でも、所要時間は最低1時間20分(本数も10本/日)。「おそらく、利用者も少ないだろうなぁ…」と容易に想像が付きましたが、好天の日でありながら、予想通り…途中からは自分1人だけ。尤も、こんなコトは毎度のコトなので、別に御構い無しではあるのですが…。 然しながら、長距離路線バス…。途中から暇になり、自分の手元にあった道路地図と照らし合わせ始めてみたのですが、どうもバスが“不穏な動き”。なぜか、突然甲佐町では国道443号線を、砥用町では218号線を外れ、対向車と擦れ違うのも困難な狭路を走るのです…。「平日の学生送迎も考えた路線か?」と思い、「仕方ないなぁ…」という感じでしたが、日本最大の石橋である霊台橋を後にし、国道を真っ直ぐ20分程行けば矢部という所でもまた国道218号線から外れてしまいます。さらに、「バスの行き違いをするので、暫く御待ち下さい…」と運転士さんからのアナウンスのオマケ付…。このときばかりは、さすがに「ハッ?」と思いましたね。実は、道路地図を見ると、色が白く国道に戻るのも極めて困難な道で…(;--)
余談ですが、【なんでこんなに時間の差が出てしまったのだろう…?】と思い、後日調べてみたのですが…矢部迄行く熊本バスの路線は幾つか経由がある様で、前述した1時間20分という所要時間は御船経由の路線。で、自分が乗車したのは、甲佐、砥用、内大臣峡経由の路線。実は、終着地は一緒ですが、路線自体は全く異なっていた訳ですね(全国版の時刻表に注意書きを載せてくれ…:涙)。そんな訳で、所要時間には大差がありますので、熊本交通センターではもちろんのコト、矢部営業所でも乗車間違いにはクレグレも御注意の上で、御利用願います…(;^^) F〜K:通潤橋他(2004/04/25) 矢部営業所から徒歩10分程の所に“道の駅・通潤橋”があります。石橋も目の前にあります。“街中に案内がホトンドなされてなかった割には、意外と簡単に見付けるコトができました”が、到着して早々、「ガックリ…」という感じでした。実は、【迷った末に日曜日に通潤橋を採った理由】の1つは、日曜日の12時から放水が行われるからでした。せっかく、こんな遠方迄行ったのですから、見てみたいのが人の欲望じゃないですか? しかし…残念ながら御目当ての放水はたった15分間だそうで、間に合いませんでした…(>_<)。ちなみに、5000円支払えば放水して下さるそうなのですが、懐の余裕は全くナイので、【次回の宿題が出来た】…ただ、ソレだけでしたね。ハイ…。
こうして見ると…アーチ橋の姿って優美ですよね。間近で見ると、画像以上に“貫禄”がありましたよ。実際の話、石橋は長持ちするらしいですし…いつ迄も矢部のシンボルであってもらいたいと願わずにいられません。。。(でも、放水されてナイと、画像が大人し過ぎますね)
最後になりましたが、この矢部やその隣町の砥用に関しては石橋や滝を巡るだけでも結構愉しいと思います。くまなく廻るとなると、半日強は確実に必要かもしれませんが、ココから阿蘇に抜けるのは結構容易なので、自分が車で九州を一周をする機会があれば、その際にでもまた立ち寄ってみようと思います。。。 〜あとがき〜 行きは宮崎空港から九州入りしましたが、帰りは熊本空港から帰京しました(矢部からのタクシー料金は…ノーコメントにさせて下さい:5桁以内確実)。熊本空港って、離陸するとき大旋回するので、面白いですね。ただ、その一方で…操縦士泣かせの様な気がしましたが、実際の所どうなのでしょうか。ちなみに、その際に眼下に見える阿蘇や九重連山の山並は素敵でした。次回の九州入り、乃至は九州から帰京する際はワザと熊本空港利用するかもしれません…!? 最後になりましたが、色々と慌しい1泊2日でしたけれども、今回の旅では本州で見える景色にはナイ“強さ”みたいなモノを感じるコトができて、個人的には非常に愉しかったです。細かいレベルでの収穫も非常に多かったですし、【もう料金に縛られた旅なんかせずに、本当に良い所にはお金をキチント使って廻らなければ…】という気持ちでイッパイです。また時期を見計らった上で、1泊2日で九州のどこかを訪れようと思います。 |