第14回のテ〜マ:【Last Run】(2003.10.05.)


 昨年の北海道旅行後からでしょうか…。あのとき、色々と思うコト(→昨年の旅行記←)があり、モトモト好きであった旅行を1人で積極的にする様になりました。もっとも、昨年は就職してから3年も経ち、お金に関しても少しは余裕が出て来たコトもありますが…本音はと言うと、【日々激務に追われ過ぎて、頭の中に纏わり憑いてしまったコトをマッサラにするには、適宜東京を抜けるしかない!】といった様な切羽詰った思いが、自分の中にあったが故です。。。

 ちなみに、ここの所の旅行後の自分は…というと、相変わらず時間に追われておりますが、前述した様な理由の旅に出た後、自らが撮って来た画像を添えた上で、可能な限り旅行エッセイ的なモノを書き、ときには旅先で話が聞くコトができた方々のの声も交えて、定期的に本HP上にて発表して来ました。予想以上に好評を博している?みたいなのですが、実は、最近では自分自身の中において、観光地は違えども、スポットの当て方には偏りが出ている気がして、モドカシサも多少感じて来ておりました。

 そういう訳で、旅行エッセイといえども…【いつかは視点を変えたモノを書くための素材も集めなければ…】と思いながら、旅をするコトもあったのですが、遂に今回、ようやくその思いに適う画像の頭数が揃いました。追いかけたテーマは…“Last Run”

@小野田線@雀田駅

A小野田線@横から

B可部線@加計駅

C可部線@横から

 出だしから、21世紀の画像とは思えない様なノドカな画像が揃いましたが、@&Aは廃車になる車両を追うために山口県へ、B&Cは廃線となる区間を追うために広島県へ…それぞれ2月と9月に出向いて、撮って来たモノです。ちなみに、前者がJR小野田線の中で“本山線”と呼ばれている支線(雀田〜長門本山:2.3Km)、後者がJR可部線における非電化区間(可部〜三段峡:46.2Km)で、共に路線名の一部区間であります。

 それ故に、この2路線…東京から乗車しに行くのは、余程のモノ好きでなければ、非常に難しい路線でして…。前者の“本山線”は、日中の運転は全くない“最大9時間も間隔があく超変則ダイヤ”の1日5往復。後者の可部線非電化区間(可部以遠)は途中の加計迄であれば、1日8往復とそれなりにあるのですが、終点の三段峡迄となってしまうと、こちらも1日5往復のみ…。

 個人的には、【せっかく、大金を叩いて追いかけに行くのであれば、観光も兼ねて利用しに行きたい派!】であるため、この様な路線を利用する場合は…基本的にブルートレインを利用した形の旅程を組むのですが、何れもコレで対応可能な路線でした。ちなみに、本山線の場合は“特急・富士”、可部線非電化区間の場合は“特急・あさかぜ”みたいな。。。

★小野田線(雀田〜長門本山:通称・本山線)

D宇部線@宇部駅

E長門本山駅T

Fクモハ42形車内

Gクモハ42形に関して

 東京駅から乗車して来たブルートレイン富士を小郡(現・新山口)駅で下車し、冬真っ只中の2月の休日のAM6:43に宇部駅へ。さすがに朝が早いせいか、まだ暗い駅構内…。3月中旬で廃車となる1台の車両を追って(∴現時点では走っておりません)、我ながら…【よく来たモノだ】と思わずにいられませんでしたが、そんな余韻に浸っている時間もあまりなく、画像Dの様な宇部線の列車に乗車し、2駅目の居能駅へ。さらに、そこからは小野田線で3駅目の旧型列車が走る“本山線の起点駅”である雀田駅へ…。すると、こんな季節でありながらも、雀田の駅構内は…上記画像@の通り、早朝から家族連れも含めたクモハ42形の最期を惜しむ方達?が集まっていて、皆が1枚でも多く、画像に収めようと躍起になっておりました。ちなみに、上記画像Gの資料を読んだ限りにおいては、このクモハ42形は今は亡き自分の父と1つしか年齢が変わらない様なのですが、塗色が塗色のせいか、齢を感じました。父も生きていれば、こんな感じだったのでしょうか…。



H長門本山駅U



I長門本山駅V

 さて、こんなクモハ42形の車内に関してですが、上記画像Fの通りでございます。外面同様、歴史を感じますね。自宅の結構近くを走っている東急・世田谷線で何年か前迄走っていた旧型車両や中学生のときに家族旅行で利用した一畑電鉄大社線の車両の様でした。さすがに“レトロ”という言葉が似合いますが、これだけフンダンに木材が使われていたせいか、【骨董品の様な温もり】を感じました。さらに、窓周りや手すり等にできた傷…これらにも、歴史を感じましたが、その一方で木目は非常に艶やかで、大切に使われていたのがよく分かる車両でした。遠方から遥々乗車しに行く方の気持ちが、自分はなんとなく分かりましたよ。

 そんなこんなで思いに耽っているうちに、クモハ42形は出発…。始動時に、前述した車両の様な懐かしい音が車内に響き渡ります。あの音は、SLと同じ位の趣がありましたが、雀田から長門本山迄は途中に浜河内という駅が1駅だけあるだけで、所要時間はたったの5分程…。“テーマパークの1アトラクションを体験した!”というレベルですかねぇ…(;^^)

 ちなみに、長門本山の駅前に関してですが…左記画像Iの様に、【瀬戸内海の向こうに陸地が見える、如何にも終着駅という感じの何もナイ駅】です。しかし、こんな車両を利用して辿り着いた所のせいか、どことなく美しく感じられる景色でした。おそらく…車両が変わっても、こんな旅情は変わるコトはナイのでしょう。ただ、戦火を潜り抜けて来た車両が一線を去るというコトは、御年寄りの方から昔話を聞けなくなるのと同じ様な寂しさを憶えましたが、70年にも渡り、あまり休むコトなく走って来たコトを思うと、【安全運行御疲れ様でした!】という感じです。こんな所からではありますが、クモハ42形の今迄の貢献度に対して敬服致します。

★可部線(可部〜三段峡)

 可部線は、広島と山陰の浜田とを結ぶために、明治時代から計画されていた路線で、1930年には当時の終着駅であった可部迄の電化が施され、浜田側でも建設工事が行われるという状態であった様です。しかし、浜田側では【水害で建設区間が流される】という憂き目にも遭い、建設ルートを変更。一方の広島側でも、可部以遠の建設ルートでドタバタが続き、現在の終着駅である三段峡迄達したのは、結局1969年。さらに、三段峡以北の用地取得も上手く進まず、三段峡トンネルの工事は凍結。そんなこんなで、工期が延び延びとなった末に、国鉄再建法により工事が凍結されてしまい、延伸されるコトがなくなってしまいました。

 その結果、早くに開通した広島〜可部間に関しては、現在1時間に何本もある都市型路線となったのですが、可部以遠はディーゼルカーが単行、または2両編成でノンビリと走る“風光明媚な路線”という具合に大きな格差が出てしまいました。そこで、2000年11月より…1年半に渡り、試験増便が行われたのですが、その結果が結局あまり芳しくないモノであったため、本年11月末日をもって、可部以遠のローカル線部のみが廃線という憂き目に遭うコトになりました。今回は、その後者部をメインにしております。

J可部駅T

K可部駅U:To 三段峡

L三段峡駅T

M三段峡駅U

 東京駅から乗車して来たブルートレインあさかぜを広島駅で下車し、初めて訪れた広島の市内を散策した後、紙屋町(本通駅)からアストラムラインに乗車し、大町駅経由で可部駅へ。すると、可部迄乗車して来た客の8割方がディーゼルカーへの乗り換えで、上記画像Jの列車は超満員というか…【スシ詰め】。果たして、この中で、どれだけの乗客が可部以遠が廃線となる事実を知っているのかまでは、さすがによく分かりませんでしたが、自分の中では…【これが11月末で廃線となる区間? 嘘だろう?】という光景でありました。バスであれば、4〜5台分…でしょうか。いやそれ以上だったかもしれません。結局、【土休日だけの賑いでは、廃線にしてしまった方が良い】というのがJR西日本の考え方なのかもしれませんね。

 ちなみに、これだけ乗車した客の下車駅は…と言いますと、95%は途中の加計か終点の三段峡でした。その比率は【6:4】位でしたかね。今回の自分は三段峡を観光するために、終点の三段峡迄乗車致しましたが、加計にも良いハイキングコースがある様ですね。実際問題、可部を発車したディーゼルカーは、10分程すると…加計迄の約30Kmは進行方向左側を中心に、下記画像の様な車窓が流れるのです。この前に、広島市内でも太田川は見ておりましたが、このあたりまで来ると、緑も豊かで、【同じ川?】という位に清涼感がありました。さらに、周辺の山々とのコントラストも抜群で、車窓は非常に美しかったです!!

 おそらく…【トロッコ列車】が運行されていれば、人気を博したでしょうね(尚、加計より先、終点の三段峡迄は比較的開通時期が新しいが故に、トンネル数も多く、車窓も平凡であったため、収めておりません)。



L車窓T@安芸飯室付近








N車窓V@香草付近?

 しかし、自分はたったの4枚しか撮っておりません(汗)。列車が混雑し過ぎていたためという理由と、非電化区間はホトンド太田川にベタベタと寄り添うルートで、川が蛇行すれば、可部線もカーブ…という位の微笑ましい位の仲の良さのため、似た様な川沿いの車窓が多いのです。それ故に、敢えてポイントを絞り込んだのが原因です。

 ちなみに、画像に収めるコトはできませんでしたが、この周辺ではアンダーを着て、腰下を川にドップリと浸かった形で、釣りを愉しんでいる方もおられました。都市部ではもう見られない様なノドカな風景が、車窓からも確認できました。あと、ビックリだったのが…沿線には右記画像Mの様に、四国のかずら橋の様な脆そうな吊橋も幾つか残っておりました(でも、通行不可?)。画像は、逆光のため、最悪の出来ですけれども…(涙)

 そんな訳で、車窓には飽きるコトがナイのですが…乗車中に気になるコトが何回かありました。安芸飯室駅手前等、何箇所かカーブの途中で、極端にスピードが落ちました。絶景が観れる訳でもナイ、アングルでこんな不自然なコトがあるというコトは…【もう列車を通すのも限界なのかな?】としか窺えませんでした。実際問題…途中駅での地元の方々が乗降シーンは合計で10〜15人程度でしたし、影の部分を垣間見てしまった気が致しました。。。



M車窓U@香草付近








O車窓W@加計付近

 しかし、この様な車窓が消えてしまうのは本当に惜しいですよね。廃線となる前に、画像として収められたのは、せめてもの救いではありますけれども、只見線の様に活かしても良いのではないかとも思います。個人的には、もっと近い所を走っていれば、間違いなくもう1度乗車してみたい路線でありましたし…。そんな思いだけで覆る訳はナイコト位、重々承知はしておりますが…(ノ_;)

〜追記:廃線区間を想う〜

 これを書いていて思ったのですが、俺・にゅうが過去に利用したコトがある路線において、廃止されそうになった区間は数多くありますが、実際に廃止された区間は、現時点では2区間だけです。それはどこかといいますと…一区間は“向ヶ丘遊園のモノレール”で、もう一区間が長野行新幹線が開通したコトで維持費等の関係もあり、憂き目に遭ってしまった“旧・信越本線の横川〜軽井沢間”です。ちなみに、後者は所謂…碓氷峠越えと呼ばれていた国内トップランクの急勾配区間で、同区間専用の電気機関車(⇒最後尾に繋げ、旅客列車と電気機関車で力を合わせて登る形式が採られていた)が存在するという稀有な区間でした。

 尚、碓氷峠区間に似た様な光景は、大井川鉄道における“アプト式区間”でも見られますが、残念ながら…電気機関車の連結、乃至は解除により発生する待ち時間を利用しての“駅弁購入シーン”という旅情を誘う様な風物詩がありません。碓氷峠下の駅・横川が“峠の釜飯”という駅弁で全国に名を馳せた様な、あの…。そういえば、現在でもこの駅弁は、横川駅はもちろんのコト、新幹線車内や横川SA等にも販売範囲が広がっておりますが、【時代が変わったなぁ…】と感じるのは自分だけではナイと思います。

 鉄道という交通機関が廃止されるコトによって、妙に“寂しさ”を覚えるのは…おそらく、この様な全ての記録(EX:地図)が幻であったかの様に綺麗サッパリと消し去られてしまう故ではないでしょうか。消えてしまう情景を再現するコトが容易ではナイコトを、人はよく分かっている故もありましょう。また、後年…忘れ去られた事実となりかけてきた風景を追い、写真を撮る人も出て来たとしても、彼らの行き着く所というモノは、“廃線前に実際に乗ってみたかった”という思いにしか至らない故だとも思うのです。

 さらに、北海道の廃線後の路線跡のエピソード等と知った際等に特に思うコトなのですが、【建設に携わった労働者の労苦に対し、報いて欲しかったなぁ…】という思いを抱かずにいられないからであるとも思うのです。建設中に、熊の様な野生動物に追われ、雪という気候とも戦い、時には人柱となってまで、タコ労働的に携わられた方達の思い…。この事実に対して、現在の自分達は乗車するコトでしか報えませんからね。【無計画の極限値は、結局“分かりきったコト”ではあるけれども、建設作業に携わった方達のコトを思うと、手を挙げて答えを言いたくはない…】みたいな気持ちとでも言いましょうか。。。

 何れにしろ、可部線のディーゼルカーに乗車しながら、上記の様な太田川とその周辺の山々とのコントラストを堪能できる期間は残り2ヶ月弱。小さな記憶が集約され記録となり、やがて歴史となる様に願いながら、1人でも多くの人達の利用を心待ちにしたディーゼルカーの...“Last Run”

 …三段峡はそんな様子も知らずに、観光客を1年でもっとも魅了する素敵な紅葉シーズンをそろそろ迎えます。これに併せ、可部線では本年も恒例の三段峡への直通臨時快速列車が運行される模様です。ただ、どこか矛盾してますよねぇ…。どこか。。。

→戻る←  →追記:広島&三段峡観光編←